東京地方裁判所 昭和30年(ワ)3673号 判決 1956年7月06日
原告 用瀬昌子
被告 塩沢総一
主文
1、原告の請求を棄却する。
2、訴訟費用は原告の負担とする。
事実
1、原告の請求の趣旨は別紙中の当該記載のとおり。
2、原告の請求の原因及び被告の抗弁に対する主張は別紙中の請求の原因に記載のとおり。
3、被告の答弁は、主文第一、第二項同旨の判決を求めた外、別紙中の答弁及び抗弁に記載のとおり。
立証<省略>
理由
1、原被告間に原告主張の土地について、建物の増減変更の場合に関する特約条項の点を除いて原告主張どおりの賃貸借契約が成立したことは当事者間に争がなく、右特約条項の有効に成立していることは成立に争のない甲第二号証及び証人用瀬満の証言(第一回)によつて認めることができ、他に右認定を覆すのに足りる証拠はない。
2、被告は右特約条項に関する甲第二号証の文言はいわゆる例文であつて、当事者を拘束する程の法律的意味を有するものではないと主張し、「増減変更」という「減」の場合については、その文言自体から一応例文と解し得られないでもないが、そのことから増改築の場合をも例文と解することはできないし、少くとも増改築の場合に、これを例文として無視し去る程の特別の事情は、右書証の成立経過に関する各証拠を見ても証明されていない。
3、ところで、本件土地上に被告が原告主張の家屋を建築し所有していること、原告主張の頃被告が同家屋の増改築をして来たことはいずれも当事者間に争がなく、本件係争の直接原因である昭和三〇年三月前後の増改築については、被告は原告の同意を得た旨主張するが、この点に関する被告本人尋問の結果(第一回)は、結局伝聞や原告側の交渉上の言動をとらえた一方的解釈に過ぎないので、その主張の証拠としては薄弱であるから採用し難く、他にこれを認めるのに足りる証拠はないのみならず、証人用瀬満(第一回)及び同用瀬ヨシの各証言によれば到底被告主張のような承諾のあつた事実を認め得ない。
4、被告はさらに、本件土地上に被告が当初建築した建物は戦後の応急バラツクであつて、本建築に増改築する場合は前記特約条項の規制外であり、且つ、地主である原告の権益を害しない限り被告が現に建築した程度の本建築家屋に改めることについては、原告は右特約上の権利を行使して承諾を拒み得ないものである旨を主張するので、この点について判断する。
(イ)、まず、前記特約の趣旨を考えてみるのに、証人用瀬満(第一回)及び同用瀬ヨシの各証言によれば、原告は過去の経験によつて将来本件地上の家屋について賃借人から買収請求権を行使される場合のことを考慮し、予期しない高額の買収価格に困難するようなことのないように特に右特約条項を設けたことがうかがわれ、このような配慮は地主の立場からすれば当然あり得るところであつて、被告もまた右特約がある以上、原告の右意図を聞知すると否とを問わず、借地人の立場から自ら了解し得られた筈であるから、同特約を軽視すべきものではないが、そうかといつて、一坪の増築も屋内の模様替もすべて右特約条項に触れるのか、如何なる範囲の増改築が同特約に拘束されるのかは、契約当時の社会状勢、契約当事者の生活状況その他諸般の状況から解釈されることであつて、決して形式的文言のみからことを断ずべきではないと思われる。
(ロ)、そこで、右諸般の状況に属すると思われるものを見ると
証人用瀬満(第一回)、同山先勇、同古賀友一の各証言及び被告本人尋問の結果(第一回)によれば、本件の賃貸借契約当時、被告所有の如何なる規模の家屋が建築されるのかは契約当事者間に未だ了解されていた訳ではなく、従つて前記争のない当初の一七坪余の家屋を基準として、それの増改築を特段に問題としたものでもないことがうかがわれ、
成立に争のない乙第八号証の一ないし五、被告本人尋問の結果(第二回)によつて真正なものと認められる同第一〇号証の一ないし四、証人山先勇の証言及び被告本人尋問の結果(第一回)によれば被告が本件土地上に当初建築した家屋は訴外株式会社竹中工務店が戦後の応急バラツク見本として展示したものを宇都宮市から輸送して組み立て、建築したものであつて、被告の医師としての資格から建築制限にもかかわらず診療室を設け得られたため、応急仮設住宅としては一七坪余の当時一般に許されたものよりも稍々広いものであり、工事施行者の右訴外会社と被告との特別関係から当時としては上質のものであつたことも想像はされるが、要するにバラツク建で、当事者間に争のない二〇年の賃貸借期間中到底使用に耐え得るものでなかつたことは明であり、
(ハ)、証人用瀬満(第一回)及び同古賀友一の各証言によれば前記契約締結当初から被告が東京警察病院長であり医師であることは、原告も知つていたことが認められるので、
以上の各認定事実と前記甲第二号証とを併せ考えると、本件土地の賃貸借契約成立当時、当事者間に暗黙のうちに予想し了解されていた同土地上に被告の建築すべき建物は、被告の前記地位、職業にふさわしい住宅用家屋であつて、当初建築された前記一七坪余のバラツク家屋が二〇年間の賃貸借期間中における対象家屋ではなく、当時当然予想された社会情勢の変化によつてやがて本建築が行われ得る場合には、右の限度内では増改築も許容されるべきであり、ただ、特に用途の限られた特種の邸宅を建築するとか、病院を建設するとかその他右限度を超えるような建築をする場合には前記特約条項に触れるものと解するのが相当である。
(ニ)、そして、証人山先勇の証言及び被告本人尋問の結果(第一回)によれば、本件係争の直接原因となつた原告主張の増改築部分は延約四〇坪で既存部分と併せて合計延約五〇坪建坪約三〇坪であること、建築単価も増築部分が約六万円であること、家屋の使用目的は従前と異ならないこと等がうかがわれるので、この程度の家屋では未だ前認定の被告の地位、職業にふさわしい程度を超えるものとも思われず、またその構造等が特別に異例のものであることの主張立証もないから、前説明の特約の趣旨に従い、被告の右増改築を以つて本件土地賃貸借契約上法律的に非難し得るものとし、同契約解除の原因となし得るものとは判断し難い。
この結論は、原告が右契約締結に当つて特に留意した前認定の配慮を空しくする感もないではないが、強いて言えば、以上の程度のことは前説明のとおり契約当初から予想されていた筈であり、特段に異例な構造のものでない、右程度の住宅ならば将来被告から買取請求権を行使されるような事態が生じた場合にも原告において多くの費用を要しないでこれを換価することもさして困難とも思われず原告の利益を著しく害し被告の利益との公平を失するものとも言えない。
5、以上によつて、他の争点について判断するまでもなく、原告の本訴請求原因は理由がないことになるので、その請求を失当として棄却することとし、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 畔上英治)
(別紙)
請求の趣旨
一、被告は原告に対し別紙<省略>物件目録記載第二の建物を収去して別紙物件目録記載第一の敷地百坪を明渡し且昭和三十年三月十六日から右明渡済に至るまで一ケ月三千五百円の割合の損害金を支払うこと。
訴訟費用は被告の負担とする。
旨御判決を求む。
尚右前項に対しては仮執行の宣言を求める。
請求の原因
一、原告は昭和二十二年七月一日其の所有に係る東京都新宿区若宮町二十番地土地四百二十一坪二合三勺の内別紙物件目録記載第一の敷地百坪を被告に対し左記條件で賃貸した。
(一) 賃貸期間 昭和二十二年七月一日より
昭和四十一年六月三十日まで
(二) 借地使用の目的 住宅並に附属建物所有の為
(三) 賃料 一ケ月百五十円毎月二十八日払
(四) 次の場合に於ては予め原告の承諾を受くべきこと。
(イ) 借地上の建物を他人に譲渡、質権、低当権、設定するとき。
(ロ) 現在の建物に対し増減変更を加うべき工事をするとき。
(五) 左の場合に於ては原告は直ちに本契約の解除が出来る。
(イ) 前項(二)乃至(四)に違反したとき。
(ロ) 被告が破産宣告を受けたとき。
(ハ) 賃借地上の建物が競売に付せられまたは差押を受けたとき。
(六) 賃借期間の満了又は契約解除の場合は土地を原形に復して返還すること。
二、被告は昭和二十三年一月本件土地上にセメント瓦葺平家十七坪一合六勺を建築して来たのであるが昭和二十五年十二月被告は前記約旨に背き原告の承諾を受けず無断で右建物に三坪を増築し、又昭和二十六年七月、被告は前記約旨に背き原告の承諾を受けず無断で右建物に接続して木造平家建モルタル塗十一坪を増築したので原告は当時その不当を申入れたがそのままとなつていた。
三、被告は復々原告に無断で昭和三十年三月前項建物中最初の木造セメント瓦葺平家建二十一坪一合六勺(最初の十七坪一合六勺に三坪増築せるもの)を取りこわし右の敷地上に木造二階建一棟の建築をなすべく準備し原告の抗議をも無視し工事を進行するので原告は昭和三十年三月十六日内容証明郵便を以て第一項(四)(五)違反を理由にして本件土地賃貸借契約の解除を通知し、右通知書は同年三月十六日被告に於て受領したのであるから当日原被告間の係争土地に関する賃貸借契約は解除せられたのである。
然かるにも不拘被告は何等借地人としての義務を省みず工事を進め昭和三十年十一月請求趣旨建物を完成してしまつたのである。被告の右行為は約旨に背き信義則に反するものである。
四、右様の次第であるから係争土地は昭和三十年三月十六日以后の賃料については法律第二四八号(昭和二十七年七月三十一日)地代家賃統制令第二十三條第二項により公定賃料の制限を受けないのである。昭和二十九年頃より係争地附近の一帯の土地賃料は坪月額三十五円(花柳界ではない)となつて居る故右地代に該当する損害金を請求するのである。
五、依而原告は被告に対し請求趣旨記載の判決を仰ぎ度いので本訴を提起した次第である。
答弁
一、原告の請求原因中賃貸期間、使用目的、当初の賃料期間満了時の原状に復して目的物件を返還する義務等に関する点は認める。
建物の増減変更の場合に於ける契約解除に関する特約は否認する。
二、昭和廿六年七月乃至九月頃迄の間に被告が増改築等をした事実は認めるが、これに対して原告側から異議の申入れを受けた事実は否認する。
三、昭和三十年三月中バラツク取毀しをし建築の準備をした事実及現在原告主張の建物の存在する事実は認める。
抗弁
一、本件賃貸借契約は訴外古賀友一の斡旋によつて、当事者間に於て口頭の意思表示によつて成立した後に形式的に甲第二号証の借地契約証書が作成されたもので同号証記載の契約解除に関する特約条項については当事者間に合意がない。
従つてこれらは単なる例文と解せられるので、特約の存在を前提とする原告の契約解除は有効ではない。
二、原告は契約解除の通知の直後、二回に亘り本件については双方の利益のため妥協する用意がある旨の通告をして来たので、被告はとりあえず訴外神宮徳太郎を介して、その真意を訊したところ、原告は地代を坪十六円から一躍三十五円に値上を要求したので被告は三十五円は著しく不当であつて承引しがたいが妥当な値上には応ずる用意があること及妥当な地代を決定する方法については誠意ある協力をする旨を回答した。
以上の経過を法律的に見れば原告の解除権の行使の真意は地代値上の促進の具に供することにあつて、被告はこれに応ずる意思表示をしているのであるから未だ具体的の数額は定まつていないにしろ、地代値上について当事者に合意が成立したものである。
従つて契約解除を前提する原告の請求原因は失当である。
三、仮に然らずとしても、本件借地の目的とするところは木造建築の所有にあり、且期間も満二十年と定められているのであるから当事者の意思は相当期間持久する所謂本建築を建設する敷地とするにあることは自明であつて、当時のきびしい建築制限下で応急雨露をしのぐために仮設したバラツクは少くとも解除に関する特約を適用する建物に該当しないものと見るべきである。
取毀バラツクが特約の建物に該当しないとすれば、その部分の敷地は契約当初から其時まで空地のまゝ放置されていたものと同様に扱わるべきであるから、その敷地に新築をする際には更めて地主である原告の承認を求める必要は法律上存在しない。
右のバラツク株式会社竹中工務店が戦災復興のバラツクとして展示したものを栃木県下から輸送しこれに多少補充したものであつて追つて何れ取り毀して其の敷地に本建築することは当初から、当事者間に於て了解ずみであるから新建築することは、契約自体からして被告の当然の権利に属するものである。
四、仮に然らずとするも、被告は工事着手前である昭和三十年三月九日、原告の承認を求め、その同意を得ているから決して無断増改築したものではない。
五、仮に被告の右承認の要請に対して、原告は同意を与えなかつたとするも、被告は契約の本旨に従つて借地を利用するため、その着手前である昭和三十年三月九日原告の承認を求めたのであるから、借地期間が昭和四十一年迄なお十一年間残存し、被告の新築が原告の地主としての権益を害する特段の事情のない限り原告が承認を拒むことは何等正当の理由がないものといわねばならぬ。
たとい原告主張の如き特約について当事者間に有効な合意があつたとしても、地主である原告が恣いまゝに借地人の土地使用を拒むことは、今日に於ける借地権の経済的重要性から見ても、賃貸借の双務契約である性質から考えても、許さるべきことではない。
従つて原告の異議乃至解除の通知等は借地法第七条による異議としての効果はともかくこれによつて特約違反の責を被告に負わせ、借地契約を解除することはできない。
六、以上いづれの点からするも原告の本訴請求は失当である。